パキスタン北部大地
震被災者を支援する団体
『セイブ パキスタン バンク』 募金のお願い 皆様からの募金総額
Tシャツを着て募金しよう 掲載された新聞記事一覧 SPB活動レポート コラム
SPBがお世話になっている、日パトラベルの、情熱的なパキスタンでの支援活動を、この本から知ってください。災害の様子をしるという意味だけでなく、社会構造の問題や、アメリカを中心とした、世界の構図に疑問を感じるはずです。事務局長、加藤も、ちょっと写真にうつってます。
女性から見た地震被災地
パキスタン滞在報告
8月5日からパキスタンに入りました。支援先であるバラコットには4泊の滞在でした。
イスラマバードからマンセラに入って、次の日、バラコットへ向いました。交通ルールがあってな いような車の走り方、装飾だらけの派手な大型トラック、街の中を歩く人の姿が圧倒的に男性 の数が多いところなど、イスラムの国に来たと感じさせます。

マンセラからバラコットへの道は山道で、家はまばらです。途中、道端でトウモロコシを焼いて 売る男性や男の子の姿が見かけられました。バラコットに近づくと左側は山の斜面、右側は下 へ川を見下ろす山道です。雨期ということで前日までは大雨だったようです。また、ある1日は 大変な豪雨で、例年の一年間の降雨量が1日に降ったという話でした。幸い、私たちの滞在中 は晴天続きでしたが、地震で地盤が緩んだ上にそのような大雨のため、土砂崩れがひどく、道 の修復をしている人や車の姿がありました。
道の脇の大きな岩には何かの広告がペイントされています。とてもきれいでまるでアート作品 の様です。ほとんどのものは崩れて読めなくなっていますが、大きく目立って残っていたのは HOTELの広告です。
バラコットに着くとナビードに会うことになりました。第一印象は落ち着いた聡明な男性です。

バラコットの街の本来の姿がどんなものか、よく分からずにいますので、地震前後の違いが 分からないのですが、マンセラに比べ小さいながらも、活気のある街に感じました。たくさんの 建物が並び、魚や肉などの食糧品も売っています。お昼を食べた食堂の前では、窯でローティ ーを焼くのを手伝う元気な子供の姿もありました。他国のNGOが建てたという病院も機能して いるようです。この街は全壊したときいていますから、全て、地震後、新たに建てられたものの ようです。ただ、加藤博くんとナビードの話から、以前にあった大きなホテルがありません。登 山客が泊まっていたといいます。ここまで来る間に見た岩の看板からは、よほど良いホテルが あったと想像できますが、跡形もありません。
以前の加藤博君の報告にありましたが、人々の家は山の斜面にあり、暮らしはそこにありま す。(山の斜面にへばりつくように暮らしていると表現された方もありました) そして、バラコット の街へ昼間、男たちが仕事に来ているのです。

見上げると山の斜面に白いものがところどころに見え、それは全てテントだということでした。 まだ、仮の家に住んでいるのです。
バラコットを四方に囲む山の中の一つにアルバン村がありました。昨日までの雨で道は崩 れ、車では途中までしかあがることができません。土砂が道をふさいでいる最初のところで車 を降りて、歩いて上ることになりました。私の足で、1時間40分ほどかかりました。ナビードの 家に着き、アルバン村を望むとそれは絶景でした。せり出したベランダからの景色はとてもき れいで、何と言っても空気が澄んでいます。標高1500mほどとのことです。家の前は山の斜面 です。斜面には一面にトウモロコシ畑が広がっています。目を少し上へ上げると、向こうの山の 稜線もとてもきれいです。そして、山の中腹には人々が住む白いテントが見えます。
ナビードの家に宿泊することになったのですが、「ここを使って」と案内された部屋はきれいに 掃除され、ベッドが用意されていました。

が、壁にはヒビが入っています。地震以前の彼の家の様です。その日はみんながあいさつに 来てくれました。聞いているとみんな、お姉さんだおばさんだと親戚だらけのようです。
2日目、SPBの最初の支援である製材機を見ることが出来ました。今はジャッビ村に置いてあ りました。ジャッビ村はアルバン村の2つ隣りの村のようですが、アルバン村からそれほど距離 はありません。ただし何せ山の斜面ですので移動はたいへんです。広場の真ん中に製材機が 置かれて、横には、たくさんの次に切られる木材が待っています。家を建てたい人が木を切る ことを依頼します。貧しい人が雇われ1日いくらという具合で働いているということです。製材所 らしく一日一日が回っています。この日は、普段マンセラで教師をしているというイクバルという 名の男性が見てくれているようでした。ここで働いているのは全て男性ばかりです。
村には、製材機を使って切った木で作った家、トタンで作った家などあります。しかし、政府が、 この辺りには今後の余震の危険性を考えて、新しい家を建ててはならないと警告していること もあり、建設はなかなか進まないようです。
このような仮設の家でのくらしですが、みな穏やかです。
庭でおばあさんは昼寝をしたり、床に座って1日を過ごしています。ある時、私が近づくと足を 見せて触るように促しました。何か言っていますが言葉が分かりません。後で足が痛いのだと 分かりました。私自身の疲労のためにと持っていったシップを貼ってあげました。気持ちだけで も和らぐといいのですが。この痛みを和らげるシップは大人気でした。女性たちが腕や腰に貼 ってほしいと申し出て、私を部屋につれて入り、服を脱ぎ始めました。イスラムの女性は外へは 出ないと聞いていたので、おとなしく言葉少ない人ばかりだと思っていましたが、全く違っていま した。夜にはたくさんの女性が私の泊まっている部屋に集まりました。その時の話題はこうで す。ある女性が、赤ちゃんが出来ず悩んでいます。赤ちゃんが欲しいから薬を頂戴と言ってい るようです。現地の言葉では私に通じませんから、赤ちゃんが欲しいことを説明するのに、おな かを出して見せます。みんなも彼女に赤ちゃんをあげてといいます。また別の日には、ウルドゥ ー(現地の言葉)と日本語のかけあいです。マリアという女性が早口コトバのようなものを私に 言わせ、みんなで大笑いです。

洗濯や食事の用意、後片付けは女性の仕事です。すべてしゃがんでの仕事ですから、腰を 痛めている女性もいます。朝、女の子たちは水を汲みに出かけるといいます。私も一緒に行っ てみることにしました。きれいな水を汲みにとなりの村まで行きます。水をいっぱいに満たした 瓶を頭に載せます。テレビなどでは良く見たことのある光景です。水をいっぱい汲むと10kgくら いにはなりそうです。4日目にアルバン村の上の端まで案内してもらいましたが、やはり女の子 たちが頭に瓶を載せて、水を汲みに行くところでした。わたしが歩くのを躊躇したがけ崩れの上 を、平気で歩いています。またその隣のトレハ村の女の子たちもそうです。雨のため川が土砂 崩れでひどい状態でした。おおきな木が根こそぎ抜けて川に流れてきて、そのままの状態にな っています。その上をひょいひょいと歩いていきます。帰りは同じ道を、頭に重い水がめを持っ て帰ってくるのです。

別の日、マリアの家におじゃましました。マリアは、明るく、おしゃべりで、私の日本語を真似 したり、私に早口言葉を言わせた女性です。トタンを組み合わせて出来た家に入ると天井か ら、きれいな飾りが下げられていました。それは、彼女の義姉が作ったものだそうです。お兄さ んの奥さんで、ナビードの妹です。とてもきれいな人だったとみんなが口口に言います。先生を していて、地震の時、生徒を助けに校舎へ入り亡くなりました。奥から大きく引き伸ばした写真 を持ってきて見せてくれました。ウエディングの写真です。写っているのはそのお義姉さんで す。とても大切にしているのです。

トレハ村で、顔に傷のある男の子ディルダールちゃんに会いました。年齢は3歳6ヶ月。SPB で医療支援をしようと考えている男の子です。手渡したお土産をとてもうれしそうに握って歩い ていました。おばあちゃんのメルファズーンは足と腰の骨を折りました。メルファズーンは娘と 孫に囲まれ、ベッドに座り、常に優しい目をしています。私に、自分のすぐ隣に座りなさい、とい います。そして、自分の足と腰を触るよう促します。
このトレハ村は水道管が壊れたためにコレラがはやり、亡くなった人もいるそうです。早く処置 をしなくては、ディルダールちゃんや、メルファズーンのことも心配です。村を降りる時、ベッドに 眠った人をベッドのまま四隅を担いで運ぶ姿をみました。日差しのある日です。コレラは脱水 症状が危険とのことですので、とても気になる情景でした。

アルバン村から向かい側の山にはどこかの団体が支援に入っているとの説明を受けました。 また、その奥の村には、NWAがテント村で支援をした人たちが暮らしていて、督永さんたちが その後を見守っています。SPBは縁があって、このアルバン村の人たちを中心に支援をするこ とになりました。
折々に聞かれたことは、この村が気に入ったか?ということです。この村の人たちの明るさ、人 のよさ、彼らを理解したいという思いを深めました。イスラム国家のパキスタンでは神の意のま まにというような言葉があるそうで、神様が何でも知っている、神様が何とかしてくださると思っ ているということを聞いていました。しかし、この村の人たちは、自分たちで自分たちのくらしを 何とかしたいと願う強い意志が感じられます。それはこれまでの加藤博君の力もあったのだろ うと思います。その反面、といいますか、わたしはこの滞在期間中、あまり不愉快な思いをせ ず滞在しました。それは、神の意のままにというイスラムの人たちの穏やかな性格の部分だっ たのかも知れないとも思います。

最初の日に、山道を歩いて、宿泊予定のナビードの家に着いた時は、ナビードの奥さんが、 優しく出迎え、足や手や肩をマッサージしてくれました。その奥さんは、学校の先生です。仕事 に行くと言って出かけた日がありました。危険な地域に行くと深刻な顔でしたが、詳しくは分か りません。その時、まだまだ現地の人たちの努力は続いていると強く感じました。最後の日の 前日、地震があったとの情報が入り、みんなは自分の寝ている場所を空けてくれました。地震 によって引き起こされた不便や悲しみを感じさせないほどの人柄と、まだまだ大変な生活をし ているにも関わらずたくさんの気遣いをしてくれて、こちらが楽しませてもらって帰ってきてしま いました。
今回は聞けなかった辛いことや悲しみをもっと聞かせて欲しいという思いが残っています。そ して、そのときはすぐ来るだろうと思います。
村を離れる時、女性たちが私をきつくきつく抱いてくれました。私たちを忘れないでというメッセ ージだと受け取りました。朝方は少し寒いほどです。これからまた冬がやってくることを思うと、 みんなのことが心配です。

save.pakistan.bank@hotmail.co.jp
